2008/02/02 (Sat) 23:52
昨日、迂闊にも「もしかしたら、ここに居てもいいのかもしれない」なんて仕事中に思ったものだから、その反動もあって、自分の存在が許せなくなってしまった。
どうして私は、こういう考え方をしてしまうんだろう。
子供の頃のことを思い出してみた。
どうして私は、こういう考え方をしてしまうんだろう。
子供の頃のことを思い出してみた。
家族から誉められた記憶がない。抱きしめられた記憶もないし、自分の存在を認めてもらったという感覚にも覚えがない。
思い出すのは、何をしても否定されたことばかり・・・テストで100点をとっても、徒競走で1等賞になっても、区の美術展に学校の代表で出品しても、学年トップの成績になっても、市の陸上競技大会に学校の代表で出場しても、学区内で一番難しい高校に進学しても、野球の試合でピッチャーをしても、合唱部で指揮者に選ばれても、全国大会に出場しても、難関と言われる国立大学に進学しても・・・ただの一度も誉めてくれたことなんてなかった。
大人になってみれば、確かにどれも大したことじゃない。学校で1番な人は学校の数だけいるわけだし、そもそも「どんぐりの背比べ」っていうくらいで、子供の頃のことで誰かと比較してもしかたがない。だけど、そのことを諭すようなことを言うわけでもなくて、ただ私は否定された。どんなに頑張っても、いい結果を出しても、無視された。いつか、誰から何を言われても、たとえ数字を示されたって、自分を肯定できなくなってしまった。
向上心を持ってほしかったんだと思う。天狗にならないように、上には上がいることを教えようとしていたんだと思う。少しぐらい上手くいっても、もっといい結果が出せるように、改善できるところがないかと省みることができるようになってほしいと考えていたんだと思う。だけど、それを教えるほんの少し前に、まずは誉めてほしかった。よく頑張ったって言ってほしかった。
嫌な記憶がもうひとつある。それは、とても居心地の悪い家庭だったことだ。
姉は学校の勉強はできなかったけれど、感性は鋭かったから、いつも父に反発していた。子供相手に向きになるばかりか、論理で対抗できない父が情けなかった。二人が怒鳴りあうのを怯えていた。胸が締め付けられていた。
父は、男の子だということで、私を姉と区別していた。姉がそのことに反発したのは当然のことだ。私も、それが嫌だった。自分が男の子だというのが嫌なのに、父はそのことが嬉しかったのだから。
母の記憶はほとんどない。存在感がなかったのだろうか。大人になってから、「お前は安心して見てられたよ」と言うのを聞いた。自分が安心するより、子供を安心させてくれ。私はいつも怯えて暮らしていたんだ。抱きしめてほしかったんだ。
やっぱり、私なんていないほうがいい。そう思うのは自然なことだ。こういう考えが間違っていて、たとえ子供の頃にひどい家庭に育っても、考え方を努力で改善できる人がいるらしいことは知っているけれど、変えられない人がいることもわかっている。
ただ、あの人が大変だったあの頃、わずかな時間ではあったけれど、寄り添っていてあげられたことだけは、この世に生まれてきてよかったと思っている。そんなこと私しか覚えていないことだから、もしかしたら嘘かもしれない。嘘という言葉が悪ければ、自分の存在価値を認めたい思いが強すぎて、記憶を捏造したということか。どっちにしても、あの人はもう、あの頃とは全く違った人生を歩んでいて、私のことなんか必要とはしていない。それはとてもいいことなんだ。そして、あの頃、私と出会ったのは、そのときには必要だったということで、それはとても嬉しいけれど、所詮、私はその程度の人間だったということでもある。もう私の役目は終わったんだ。私が狂い始めたとき寄り添ってくれた。それで満足しなければいけなかったんだ。
一度すれ違った人と再び出会うことはないらしい。誰かがそんなことを言っていた。正しいような気がする。
思い出すのは、何をしても否定されたことばかり・・・テストで100点をとっても、徒競走で1等賞になっても、区の美術展に学校の代表で出品しても、学年トップの成績になっても、市の陸上競技大会に学校の代表で出場しても、学区内で一番難しい高校に進学しても、野球の試合でピッチャーをしても、合唱部で指揮者に選ばれても、全国大会に出場しても、難関と言われる国立大学に進学しても・・・ただの一度も誉めてくれたことなんてなかった。
大人になってみれば、確かにどれも大したことじゃない。学校で1番な人は学校の数だけいるわけだし、そもそも「どんぐりの背比べ」っていうくらいで、子供の頃のことで誰かと比較してもしかたがない。だけど、そのことを諭すようなことを言うわけでもなくて、ただ私は否定された。どんなに頑張っても、いい結果を出しても、無視された。いつか、誰から何を言われても、たとえ数字を示されたって、自分を肯定できなくなってしまった。
向上心を持ってほしかったんだと思う。天狗にならないように、上には上がいることを教えようとしていたんだと思う。少しぐらい上手くいっても、もっといい結果が出せるように、改善できるところがないかと省みることができるようになってほしいと考えていたんだと思う。だけど、それを教えるほんの少し前に、まずは誉めてほしかった。よく頑張ったって言ってほしかった。
嫌な記憶がもうひとつある。それは、とても居心地の悪い家庭だったことだ。
姉は学校の勉強はできなかったけれど、感性は鋭かったから、いつも父に反発していた。子供相手に向きになるばかりか、論理で対抗できない父が情けなかった。二人が怒鳴りあうのを怯えていた。胸が締め付けられていた。
父は、男の子だということで、私を姉と区別していた。姉がそのことに反発したのは当然のことだ。私も、それが嫌だった。自分が男の子だというのが嫌なのに、父はそのことが嬉しかったのだから。
母の記憶はほとんどない。存在感がなかったのだろうか。大人になってから、「お前は安心して見てられたよ」と言うのを聞いた。自分が安心するより、子供を安心させてくれ。私はいつも怯えて暮らしていたんだ。抱きしめてほしかったんだ。
やっぱり、私なんていないほうがいい。そう思うのは自然なことだ。こういう考えが間違っていて、たとえ子供の頃にひどい家庭に育っても、考え方を努力で改善できる人がいるらしいことは知っているけれど、変えられない人がいることもわかっている。
ただ、あの人が大変だったあの頃、わずかな時間ではあったけれど、寄り添っていてあげられたことだけは、この世に生まれてきてよかったと思っている。そんなこと私しか覚えていないことだから、もしかしたら嘘かもしれない。嘘という言葉が悪ければ、自分の存在価値を認めたい思いが強すぎて、記憶を捏造したということか。どっちにしても、あの人はもう、あの頃とは全く違った人生を歩んでいて、私のことなんか必要とはしていない。それはとてもいいことなんだ。そして、あの頃、私と出会ったのは、そのときには必要だったということで、それはとても嬉しいけれど、所詮、私はその程度の人間だったということでもある。もう私の役目は終わったんだ。私が狂い始めたとき寄り添ってくれた。それで満足しなければいけなかったんだ。
一度すれ違った人と再び出会うことはないらしい。誰かがそんなことを言っていた。正しいような気がする。
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