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2025/07/07 (Mon) 03:11
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2008/03/07 (Fri) 05:37
この前の日記の後半は、負け惜しみ。
きっと、私だって楽しかったときはあったんだ。
人間の記憶なんて、あやふやなものだ。
負け惜しみというより、自己防衛なんだと思う。
だって、ほんとに忘れてしまったから。
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2008/03/02 (Sun) 17:55
以前のようには焦ったり妬んだりしなくなった気がする。以前の状態が異常だったということではある。
未来のことを気に病むということも少なくなった。別に希望が見えたわけじゃない。状況は何も変わっていない。
今、この時点のことも何も考えてない。
過去を悔いることも、しないといえば嘘になるけど、病的なほどではなくなった。悔やむ気持ちが強すぎて動悸がしたり、涙が止まらなかったりということはまず起こらなくなった。

これが望んでいた平安なのだろうか。
数ヶ月前に起きたはずのことも、まるで人から聞いたことのようだ。「夢を見ていたみたい」なんていうほどにも現実味が感じられない。時間の感覚や日付の感覚が全くないと言っても過言ではない。

もしかしたら、私はもう何年も眠ったままだったのかもしれない。だとしたら、今はただ、眠る前の記憶が蘇ってくるのを待っているだけなのだろう。その記憶が恐ろしいものではなかったことを祈りながら。
それとも、今がまさに眠っているそのときで、待っているのは記憶の復活なんかじゃなくて、本当の眠りに落ちることなのかもしれない。こっちのほうが当たっている気がする。

どっちでもいい。ただ、何もする気になれないというのが、気になるといえば気になる。気にしなければいいと言われればそうなのかもしれない。というか、すでに気になってなんかいない。そんな程度だ。
2008/03/02 (Sun) 00:43
そういうふうに私は思わない(と思ってる)から、全然思いつかなかったけど、もしかしたら、それが理由なのかも、なんて思いついてしまった。

だけど、そう思うことはとても失礼だし、嫌なことなので、もし本当はそうだったとしても、私はそうは考えないことにした。「もし本当は」なんていう仮定そのものが、そもそもいやな考えだし。

占いによれば、今は「報いのとき」なのだそうだ。
「報い」という言葉は、良い意味でも悪い意味でも使われる。自分がしたことが自分に返ってくるということだから、良いことをすれば良い結果が、悪いことをすれば悪い結果が返ってくる、ということのはず。私は周りに対して良い行いをしてきた記憶がないので、この占いの文を読んだ瞬間、悪いことしか思いつかなかった。「当然の報い」とか使われるときの「報い」としか読めなかったのだけれど、逆の意味が最初に浮かんだ人もいるに違いない。
楽しみに待つことにしよう。いずれにしても受けるしかないのだから。悪い意味での報いであれば、今まで気づかずにしてしまっていたことに気づくきっかけになるかもしれないし。

と、ここまで書いてて思ったけど、能動的に「報いるとき」であると解釈すれば、これまで受けた恩になら思い当たることはたくさんあるから、やるべきことはいっぱいあるということになる。どういう形でするのがいいのかは全然わからないけど、そういう気持ちを持つことは大切なことだ。いいことに気づかせてもらった。

占いって、なんだかよくわからない書き方をしてることが多いけど、こんな風に、読んだ人が自分の状況に合わせた解釈ができるように書いておけば「よく当たる」と言われるし、そもそも、自分に都合よく解釈することができれば、その人にとってもいいわけだから、そんなふうに書くものなのか。と、いまごろ納得したりした。

「今、最も欲しているものは、ギリギリのところではあるけれど、手の届く範囲内にあって、取引を完了するために必要なエネルギーを出し渋らないように」とも書いてあった。
導入部分で、代価をお金以外のもので支払うことがあって、その中には選択肢を諦める必要に迫られることもあるというようなことが書いてある。ここの解釈は全然できない。欲しいものを手に入れるには、ほかの何かを諦める必要があるなんていうのは、至極当然というか一般的な話なんだけど、私が欲しいものは、何かを犠牲にしたくらいでは手に入らない。というか、犠牲にするような大切なものなんて何も持ってない。出し渋るほどエネルギーなんてないし。

・・・手に入らないということか?
2008/02/17 (Sun) 12:04
ここのところ、この日記に「死ぬ」っていう言葉を書いてないでしょ?
どうしてだと思う? それはね、もう、死んでしまっていることに気がついたから。やっとね。

ウソだと思った? ブログって、未来の日付と時刻を指定して記録できるでしょ? この日記だって、ほんとはずっと前に書いたものが、今日、やっと自動的に公開されたのかもしれないよ。

最期をどうやって迎えようか真剣に考えてた頃、それをどうやって伝えたらいいのかも、もちろん考えてました。そんなことしたってしょうがないんだけど。だって、そんなこと考えてたときには既に私は死んでいたし、そのことを誰も悲しく思っていなかったことも知っていたから。でも、最期のときくらい、ほんのわずかな時間でも、私のことだけを考えてくれる時間を作ってほしかったし、できることなら悲しいと思ってほしかったし、私の苦しさを少しでも理解してほしかったから、「私は自分の意思でそうしたんだよ」っていうことを伝えたいと思ったんだ。

私の後輩で自殺した子がいるんだけど、その子は、警察と家族、親しい友人に宛てた手紙を投函してから投身しました。まだ、この国ではインターネットが商用には利用されていなかった(たぶん)ときのことです。今なら、時刻指定のメールか、私だったらこのブログを使うでしょう。何日分かの日記をあらかじめ書いておいて、万一失敗したときのために、ある程度の日数が過ぎたところで「実は・・・」って出るようにして。

その日記を見てくれたときは、誰かから呼び出しのメールが入っても、どこへも行かないでね。一晩だけでいいから、出会ったときから、狂ってしまうまでの私と一緒に過ごしたときのことを思い出して。私が楽しそうにしていたあの頃のことを。
2008/01/08 (Tue) 23:53
彼女のサイトを見に行って、ここ数日のアクセス数なんてのを見てみたら、突出してた日があったので、「これは」と思ってそれを確かめに行ったら、そこにはやはりそれがあった。とても綺麗な絵だったから納得した。

それとは違う人の絵もそこにはあった。更新した旨書かれていたから、久しぶりに訪れてみた。そこに書かれた言葉は私を狼狽させた。

相手が悪すぎる。私では勝負にならない。

いまさら慌ててもどうしようもないと、観念してみた。
自分の魅力を高める努力もアピールすることもしてこなかったのは私だし、そもそも他人の心はどうすることもできないものだから。
過去は過去。その瞬間は大切なものだけれど現在ではないし、未来はまた現在と違うかもしれない。
運命とやらで決定されているという人もいるし、未来は変えることができると信じる人もいる。
どっちにしても、なるようにしかならない。

自分にとって心地よい未来を信じ続けることは許される行為だろう。
腐ってしまうことだけは避けられたようだ。
2008/01/05 (Sat) 23:55
アクセス解析を見るのだけが楽しみ。
人様に見ていただけるようなものなんか書いてないくせに。

何度もメールをチェックして、やっぱり来てなくて寂しい思いをする毎日だった。
それが嫌になって、私からメールするのをやめた。よほどのときを除いて。
私から書かなきゃメールは来ない。
返事を期待するから辛い思いをするんだ。
だから、私がメールしなきゃいいんだ。

あの頃と一緒。なにも変わってない。
アクセスしてくれるのを確かめるためだけにこのブログがある。
私のことを気にしていてほしいから。

ね、返事を書くよりお手軽でしょ?
だからお願い。これからもずっとここを見にきて。
2007/12/19 (Wed) 21:59
どうしてそこに辿り着いたのか覚えてないけど、仕事中に、回避性人格障害のことが書かれているサイトに見入ってしまいました。


以下の7つのうち4つ以上があてはまると回避性人格障害が疑われます。

1 批判、不承認、または拒絶に対する恐怖のため、重要な対人接触のある職業的活動を避ける。
2 好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたいと思わない。
3 恥をかかされること、またはばかにされることを恐れるために、親密な関係の中でも遠慮を示す。
4 社会的な状況で批判されること、または拒絶されることに対しての思考で心が占拠されている。
5 上手く出来ていないと感じると、新しい対人関係状況で制止が起こる。
6 社会的に不適切な人間、人間として長所がない、または他の人より劣っていると思っている。
7 恥ずかしさが理由で、個人的リスクを背負う事、または何か新しい活動に取りかかることに異常なほど引っ込み思案になる。


全部あたり。パーフェクト!!

次に、依存性人格障害も見てみましょう。

次の8つのうち5つ以上あてはまると依存性人格障害が疑われます。

1 普段のことを決めるにも、他人からの執拗なまでのアドバイスがないとダメである。
2 自分の生活でほとんどの領域で他人に責任をとってもらわないといけない。
3 嫌われたり避けられたりするのが怖いため、他人の意見に反対することができない。
4 自分自身から何かを計画したりやったりすることができない。
5 他人からの愛情をえるために嫌なことまで自分から進んでやる。
6 自分自身では何もできないと思っているため、ちょっとでも1人になると不安になる。
7 親密な関係が途切れたとき、自分をかまってくれる相手を必死に捜す。
8 自分が世話をされず、見捨てられるのではないかと言う恐怖に異常におびえている。


5番以外全部です。

そうか。私は人格障害者だったんだ。
2007/09/24 (Mon) 11:42
しゃくりあげながら泣いている自分に気付いて目が覚めた。
この前も似たようなことを書いた気がする。
泣いたおかげか、かなりすっきりした気持ちで今ここにいる。

夢の中身はというと、職場の同僚と二人で、近場の公立の美術館を5つほど、二日間の日程で調査して廻るというものだった。現実の世界ではあり得ないシチュエーションなので、何の意味があるのかはわからないし、これでどうして大泣きしたのか自分でもわからない。

ここのところ、私の心に巣食っているマイナスの感情を、何とかして追い出したいと思っていろいろ調べてみているが、どうやら自動的には消えてくれないものらしいことがわかってきた。
大概のものは、原因となっているものを自分の力で探し出さないといけないことになっている。

果たして、そんなことができるのだろうか。
今朝見た夢と、声をあげて泣いた事実とを結びつけることだって、とてもじゃないけどできないというのに、これまでの人生で、先祖から伝えられてきたことも含めて、刷り込まれた記憶のもとを探し出すなんてことは、何の成功体験も持たないようなヤツにできるはずもない。

可能性があるとすれば、こういうことを考えていたそのときに、一見無意味な夢のおかげで少しばかり癒されたのかもしれない、そういう経験ができたという事実を肯定的に捉えることぐらいだろうか。
2007/04/18 (Wed) 21:39
何だか分かった気がしました。

抗鬱剤を飲むと吐き気がします。
飲まない日は動悸と頭痛がします。
偶然かもしれませんが、ここ数日はそうです。
抗鬱剤の副作用には嘔吐感があります。
頭痛とか動悸が治まる理由は分かりません。
降圧剤の副作用が、どういうわけか抑えられているみたいです。
もう少し様子を見てみます。
今日は頭痛がひどくて、鎮痛剤のお世話になりました。

それはそうと、抗鬱剤の効果が薄れている気がします。
あれはやっぱり燥状態にしてくれてたみたいです。
元に戻った感じです。
何もかもが嫌になりつつあります。
「揺り戻し」 とかいうらしいです。
もし、一番ひどかったときより、さらにひどくなったとしたら。
きっと、確実に 「それ」 をし遂げるでしょう。
そのほうが幸せなのかもしれません。
2007/04/16 (Mon) 22:55
今日は一日、嘔吐感と闘ってました。
今日というか、昨日の夜からです。
夕べは、なかなか寝付けませんでした。
実はまだ気持ち悪いです。

薬を始めて数ヶ月が過ぎたころ、
つわりなのでしょうか、ものすごく気持ちの悪いときがありました。
今でも、空腹になると吐き気が襲ってきます。
なので、残業するときは夕方に何かおなかに入れます。
そうしないと、仕事どころではなくなってしまうからです。
そうなる前に食べてしまえば、何ごともなく過ごせます。

・・・のはずが、昨日今日と、食べても治まりません。
何かが起きているのでしょうか。
とか言ってないで、医者にかかるべきなのでしょうね。
お医者さん嫌いなんですけど。

今日の薬は、降圧剤と抗鬱剤を飲みました。
声に出すと似てますね。 いっぺんに飲んでる人は少なそうですが。
吐き気があるときに、副作用にそれがある抗鬱剤を飲むというのも
どうかしてる気がしますが、逆に言えば、
すでにそうなのだから、もうどうでもいいってことです。

健康は大切です。 つくづくそう思います。
体を壊したら好きなこともできないんだってことです。
なんだかとっても不健康な日記になってしまいました。
元気になって読み返して、「そんなこともあったね」って思いたいです。
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