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2008/12/29 (Mon) 21:28
私は勝手な人間だ。
見に来てくれるだけでいいと思っていたはずなのに、
コメントがないと寂しく感じてしまっている。
それなら、他人に読まれる心配がないメールのほうがいい。
ブログにしたのは、返事を強制しないためだったのに。
返事を待つ辛さから逃れるためだったのに。

私の日記になんかコメントしたくならないのは理解できる。
病んでしまった心が書く文章が醜いのは当然のことだ。
私の場合、心が病んでいるのは醜い顔のせい。
それを変えないで心を治すことはできるのだろうか。
「変えずに」治すことを望んでいないのだから不可能な気がする。
外見さえ正常に近づけば、心は自動的に快方へ向かうと思うのだけれど。

・・・今日、ひとつ新たな気づきがあった。

古いメールを読んでいて、見ないようにしていた自分の写真を、意を決して見てみた。すると、私は以前から酷い顔をしていたのであって、それほど極端に衰えたり崩れてきたりしたわけではなかったのだ。薬の効果が出ていないということは悲しいことだけれど、思っていたほど悪化したわけではなかった。前から醜かったというわけ。

そんな醜い私に対して、あなたは当時、「可愛い」と言ってくれていた。おかしいではないか。「お世辞は言わない」って言っていたじゃないか。やっぱり嘘だったのか。

「可愛い」という言葉はいろんな意味を持つ。
幼い、弱いものに心を引かれるという意味合いが代表的なものだろうか。
辞書を引いたら「不憫な」という意味もあった。英語のprettyとはニュアンスが違う。

善意に解釈すれば、自分より容姿に劣る「男の子」が頑張ってる健気さを、そう表現してくれていたというところだったのだろう。
それを、私は勝手に(違和感を感じながらも)prettyの意で受け取ってしまった。このことが不幸の始まりだったのか。新たな気づきだった。

私が絶望しているのは、醜い顔と、あなたがひとりで手の届かないところへ行ってしまったことが原因だと思っていた。

けれども、あなたは初めから私の手には届かない人だった。手の届かないあなたに勝手に抱いてしまった親近感が誤りだったのであって、あなたはどこかへ行ってしまったわけではなかった。「そんなに立場なんて変わってないはず」というコメントの意味がようやく理解できた。
あなたは私を最初からかわいそうだと見下していたんだ。「見下す」という言葉は不適切と思われるかもしれないが、あくまで正当に、上の立場の人間が最底辺の人間を、そう見ていたという意味で使っている。あなたは私を見下していた。はじめから。もちろん今も。そして未来も。

ようやく、いろいろなことの辻褄が合った。

気づき=癒し=絶望。生きる価値のない人間はどこまでも落ちていくようにできている。神というのは無慈悲なものだ。
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