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2008/12/18 (Thu) 22:13
父を大学病院に入院させてきた。

訪問看護が正月に長い休みをとるので、その前に入れてしまおうという魂胆。家族だけではとても対応できるものではない。
ベッドから起き上がらせることができないので、介護タクシーを呼んで、ストレッチャーごと運ぶ。母はタクシーに同乗。私は電車で。

病院に着くと、タクシーもちょうど着いたところのようだった。運転手が父を降ろしているのを見つめる母の姿が目に入ったからだ。母は、目の前で行われていることが認識できないほどにも視力を失っているから、私が声をかけるまで、父が既に病院のエントランスまで運ばれたことにも気づかず、所在無げに立ちすくんでいた。

母を父の横に連れて行き、入院の手続きを済ませた。状況は伝えてあるはずなのに、のんびりと対応する入院受付のスタッフにイライラさせられた。エントランスは外気が入るから、抵抗力のない患者を放置しておいていいはずはない。父のことなんかどうでもいいはずなのに、そんなことを思った自分が不思議だった。

ようやく病室へ。病棟は薄暗く、回復の見込みのない患者で溢れかえっていた。そこは、大学病院とはいえ、序列の中では下位に属する。見込みがあって、回復が望まれる、裕福な患者は別のところに集まるものだから。

2人部屋。先に入院されている方は泌尿器科と書かれていた。前立腺か。予後が悪いタイプの部位だという認識がなかったので(調べていないからどちらが正しいかは分からないけど)意外に感じられた。

看護師が何人も来て、採血に始まって、在宅時の様子のインタビュー、レントゲン、点滴、下の世話をして出て行った。脱水症状が出ていたとのこと。素人には分からない。もしも入院させていなかったら、そのままということになっていたのか。先の戦争を生き抜いた昭和一桁生まれの運のよさは折り紙付き。私にとっては運が悪いことだけれど。

どうして、こんなになっても、人は生きようとするのだろう。
私はいやだ。自分の命は自分で始末をつけたい。それが尊厳というものだと信じている。
その気になれば、ベッドのパイプに紐をくくりつけて、首を吊ることはできるらしいけれど、確実かと言われればわからない。ああなるまでには絶対にケリをつけてやる。その正しさを、身をもって示していると考えれば、尊敬できなくもない。否、やはりできない。

病棟の陰気な、消えていく命ばかりに囲まれた雰囲気は不思議と居心地が良い。
窓の外には薬局が見える。生に執着する哀れな人たちが行儀よく椅子に並んで腰かけているのは不快な光景だ。

母も、そんな連中の一員らしいということが、今回のことでよくわかった。あれから、様子はうかがっていたけれど、それだけでは読みとれなかった。「いろいろと話してみろ」と言っていただいていたけれど、私はそれをしなかった。
父は大嫌いだけど、母も愛していない。
それだから、私は誰からも愛されることがないのだ。
ただし、こうなってしまったのが、私だけの問題だと考えるのは論理性を欠いている。
だからといって、これからもそうでいいというわけではない。

そうはいっても、改善させる気力は残っていない。
なのに私は生きている。なんだ。あの薬局の連中と一緒じゃないか。
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