2008/12/13 (Sat) 21:29
ひとつ重要なことに気づきました。そして、そのことが今、私を苦しめています。
私がこのブログで死について書くと、あなたは決まってそれを思いとどまらせようとコメントをくれるのに、どうして「私」が「死んで」しまったとき、あなたはそのことを受け入れてくれたのか、強引に連れ戻してはくれなかったのか、ずっと考えていた答が見つかったからです。
「私」というのはあの私であって、「死」は、その姿を現すことがなくなることを意味するのはお察しのとおりです。
私がこのブログで死について書くと、あなたは決まってそれを思いとどまらせようとコメントをくれるのに、どうして「私」が「死んで」しまったとき、あなたはそのことを受け入れてくれたのか、強引に連れ戻してはくれなかったのか、ずっと考えていた答が見つかったからです。
「私」というのはあの私であって、「死」は、その姿を現すことがなくなることを意味するのはお察しのとおりです。
それは「私」が醜いから。存在してはいけないほど醜いから。
わかってしまえば簡単で、あまりに当然なことです。今まで気づかなかったのは、受け入れることを拒否していたから。そのことをあなたが私に対して表明していたのだということと、それを気づかずにいたこととが、今になって私を苦しめています。あなたはずっと「私」をそう見ていた・・・。「私」の存在を否定していた・・・。
美しい人に醜い者の苦しみが理解できるはずはない。だからあなたは私に生きろと言う。苦しみ続けろと言う。苦しむのがいやなら受け入れろと言う。
「私」は「死ね」と。
わかってしまえば簡単で、あまりに当然なことです。今まで気づかなかったのは、受け入れることを拒否していたから。そのことをあなたが私に対して表明していたのだということと、それを気づかずにいたこととが、今になって私を苦しめています。あなたはずっと「私」をそう見ていた・・・。「私」の存在を否定していた・・・。
美しい人に醜い者の苦しみが理解できるはずはない。だからあなたは私に生きろと言う。苦しみ続けろと言う。苦しむのがいやなら受け入れろと言う。
「私」は「死ね」と。
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